春を迎えにゆく。

先日、高遠菜穂子さんの講演を聞きにいきました。

今まで様々な方の講演に参加してきましたが、ここまで危機感を感じさせるお話はそうそうなかったなと思い返しています。

高遠さんは長年イラクに携わっておられる方です。医療支援にも力を入れていて、医療品支援や日本のODAによる病院建設、難病や先天性疾患をもつ患者さんの支援にも携わっています。2004年に現地の武装勢力に拘束されますが無事解放され、今も支援を続けられています。


現場の悲惨な状況を知る彼女から発せられる言葉は重かった。本当に重かったです。
「今の状況を今さらどうにかするのは無理だと思います」
少なくとも私たちが生きる間に事態が収束に向かうことはないだろうとの言葉は、私にとって頭を殴られるような衝撃でした。

それでも春がくると信じたい。

彼女のお話で一番印象に残ったのが、1人の男性のお話。
戦闘で両目を失明してしまった彼が最も嘆いたのは、4人の子どもたちをもう自分の目で見られないということでした。

現地でできる医療支援には限界があることもあり、例え命の危機を免れても、絶望の中生き続けなければならない方が大勢いる。やはり現地で行われる医療支援は対症療法であって、何の根本的解決にもならないのかもしれないとも考えてしまいました。
そんな絶望や無力感と闘いながら現地の方は活動しているのだと考えるだけで頭が上がりません。

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ただ世界中の笑顔を守りたいだけなのに。カンボジアにて。

今回高遠さんはたくさんの写真、映像を見せてくださいました。
日本では戦地や死者の映像が報道に流れることはほとんどないため、亡くなった方を表す数字は漠然としていて実感が湧きません。でもそれらを見て、改めて一人一人が"その人"を生きていたのだと実感させられました。

その写真や動画が撮られた数時間前まで、画面の中の彼らも彼らの日常を生きていたのだと思うと、私は涙を堪えることができませんでした。


どうして私はこんなに命の危機にさらされずに生きていられるんだろう。私がイラク人であの子たちが日本人だったら、私が死んでいたかもしれない。
平和な国で生きることができる有り難さ、それは私の中で時々罪悪感に変わってしまうような感覚があります。

国際協力に携わりたいと考えるようになったきっかけを改めて思いました。

「生まれた場所が違うだけなのに、どうしてこんなにも私と違うんだろう」

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違いは身近な国にも。カンボジアのスラム街。

日本で生きていると、世界や他の国を実感として感じにくいように思います。アフリカのルワンダに訪れた時、周辺国との国境という具体的な他国を感じたり、互いに影響を受けるため必然的に周辺国の動きに敏感になるということを知りました。

海を隔てた向こう側で何が起きているのか、そのずっと向こうで何が起きているのか、私たちは自ら知ろうとしなければ情報をきちんと得ることはできません。

海外に行くと世界中のニュースが絶え間なく流れてくるのに、日本で流れてくる情報のどれほどが有意義なものなのだろうといつも違和感を感じてしまいます。

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コンゴ民主共和国ルワンダ国境のキブ湖の夕陽。

高遠さんは日本人にこそできることがあるとおっしゃっていました。
実際、海外で働く方からは、現地の方が日本を平和のシンボルと考えているからこそ活動がうまくいくのだと聞いたことがあります。

それも今は変わってきています。憲法改正などの是非はここでは問いませんが、私たちは世界で日本が武力を使わずとも果たせる役割を、もっと追求していく必要があるのではないかと思います。


私は、国内外問わず訪れたことのある場所を聞くと、そこで出会った人たちの顔を思い浮かべます。
その人やその人の大切な人がいる国、地域を傷つけたくない。穏やかに過ごしていてほしい、、、
私は世界中の人と友人になって、漠然とでなく具体的に思いを馳せることができるようになればいいなと真剣に考えていて、生きていく中でそれを少しずつ実現していこうと思っています。

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インドの子どもたちとカバディ

私が考えることの多くは理想であって、綺麗事だと思っています。世界で起きていることは、そんなに簡単でも単純でもないこともわかっているつもりです。
それでも、私は理想を追い求めていたいですし、それが実現されることを願っています。

その影響力は極々わずかでも、私にもできることがきっとある。それを信じて、よく学び、よく考え、よく発信していけたらと改めて考えたのでした。